8月の末、柔らかい方たちと、会う。
お久し振り、アンド体調が不安で緊張したけれど、
ゆっくりとしたたのしい時間を過ごせた。
有難う *
でもわたしはまた、
じぶんを普通に見せようとしちゃってたかも知れない。
普通で元気で。
もしかしたら、
自然にしてても全然、普通なのかも知れないのに。
病気に対する想いが強すぎるんだな、きっと。
わたしはこんな病気だけど、こうありたい、と云う気持ちが。
そして昨日。
昨冬以来でお久し振り過ぎる!と云う方と、会う。
やっと、やっと会えた、
って思ったよ。
お昼を食べて、円山をぶらり。
有難う *
また会おうね
って云って貰って嬉しかった。
わたしと居てたのしいな、とか、
わたしと会いたいな、とか、
そんな風に感じて貰えると、
元気がでる。
自信が少し、戻る。
生きていて良いのかな、
って思える。
自信を戻すきっかけを、
いつもいつでも、
どんなちっちゃな事でも、
待ち侘びているのかも知れないな。
こんなにも萎んだ、
心細いわたしの心。
こんなじゃなかったんだよ。
わたし。
例えば、
持っているものを褒めて貰ったりとか、
そんな事でさえも嬉しくて、
じぶんを肯定された気がして安心する。
サザエさんみたいに、
なんでも鵜呑みにしちゃあいけないとは解っていつつも。
昨年の今頃は、
初めての札幌での催しを控えていて、
と同時に、
病気もじわじわ進行して、
ほんとうに苦しい時期だった。
催しにまつわる苦しみも実はとっても大きくて、
押し潰されそうで。
でも、
−ああ、もう今日さようならだ、ほんとうに−
と思ったその日に、
大阪からお便りが届いて。
いっぱいいっぱいお薬を飲んじゃって、生死を彷徨ったんだ、
って告白してくれたおんなの子。
で、
命を取り留めてから未だ間もないのに、
元気がなさそうなわたしの為に、
と、お手紙と贈りものを届けてくれて。
あんなに泣いた事ってそう無いかなって云う位、泣いた。
踏みとどまらせてくれた彼女の事はいつも気掛かり。
遠く離れているけれど、いつも気にしてる。
そしてそれから、
ぎしぎし云う、
油が切れた歯車みたいな身体をなんとか起こして、頑張った。
そして、催しは無事に終了。
参加させて戴いてほんとうに良かった、
と、今でもしばしば思うのは、
素敵な方とたくさん知り合えたから。
大切で温かいおともだちが、できたから。
すっごく辛くていっぱい泣いたり、
悔しくて唇を噛んだ日々の、
ご褒美なのかな、って思う位。
昨日お会いした方も、そうなの。
嬉しいなあ、て気持ちを、
ぎゅう、と抱きしめたくなる。
あれから一年。
また秋が来て、
わたしは未だ悪くて。
−何にも成長してないな、ただ時間が過ぎただけで−
とため息をつきかけた瞬間、
あれ、そうでも無いな、
と思い直した。
春から症状は悪化したものの、
夏には治療を始めた。
その治療からいろいろな事を学んで、
大きな意識の変化があった。
思えば、
すっごいすっごい進歩だ。
思いがけず一年を振り返って、
少し、ほっとした。
昨日はまた、
嬉しい、心の底から嬉しいメイルを頂戴した。
わたし、ありのままで良いのかな、
色々と悩むけど、
捏ね繰り回して考えるけど、
自然にこのまま、
確認できている範囲の強い想いをそのままに、
やってこう、
って思わせてくれた嬉しいメイル。
ひとつひとつ、なんだな。
進んでは止まるけど、
進んでは戻る時もあるけど、
もうただひたすら、
生きてゆくだけなのかな。